とあるブルートレイン復活プロジェクトのあとしまつ

昨年、ベンチャー企業である青山トラン・ブルーは秋田港駅に留置されていたブルートレイン(24系客車)を取得し活用すると表明したが、同年11月に客車の取得を断念した。このプロジェクトは主にツイッター上で活動報告が行われていたが、そのほとんどが表面的、断片的なものであった。しかし、断念後の新聞報道などから、プロジェクトを取り巻いていた状況が段々と明らかになってきた。それも踏まえ、このブルートレイン復活プロジェクトはいったい何だったのか、今一度振り返ってみたい。

※この記事は下記記事の続きである。

todaystyle272.hateblo.jp

目次

朝日新聞に取り上げられる

2022年11月8日付朝日新聞にて、秋田港駅の24系客車が取り上げられた。

www.asahi.com

記事によると、客車は「車両の希少価値に着目する企業」(=青山トラン・ブルー)ではなく、留置場所となっていた秋田臨海鉄道(臨鉄)の手に渡ったようである。とはいえ、鉄道事業を終え"店じまい"をするだけの臨鉄にしてみれば迷惑な置き土産でしかなく、「我々は被害者」と憤っている。

青山トラン・ブルー最後の訪秋

敗北宣言から一週間余り経った11月11日、代表者は手に入れられなかった客車たちに別れを告げるべく訪秋した。

一昨日は千葉県の銚子を訪れ、昨日は10月5日(競り売り執行日)以来、1ヶ月振りに秋田を訪れました。
私の気持ちがそう思わせるのか、この1ヶ月で24系の朽損が急に進んだように見えました。

同行した方(秋田市在住)にここ1ヶ月の天気を尋ねても悪天候が続いたことはなく、むしろ穏やかで、車両に影響を与えるような事象も無かったとのこと。
もう一人の同行者の方は「人もモノも目には見えない『情報場』の中に在る」「『救出や保存があるかも』というこれまでの場が崩れ」

「この車両たちも自分たちの運命を悟った事による朽損の進行では」と仰いました(ちょっとスピリチュアルでしょうか)。

この同行者が何を言いたいのか全く理解できないが、第一声の時点でも相当「朽損」しているように見えるし、断念した後と比較しても大差ないように見える。この代表者や同行者には落成直後か全般検査明けのように美しく映っていたのだろうか。それはともかく、問題はこの直後のツイートである。

このオハネ25-152とその北(写真では上)のオハネ25-211は外観が比較的綺麗な車両だと認識していたので本当に残念です。

ちなみに、8日付け朝日新聞デジタルに弊社のコメントが掲載されておりますが、「東京のベンチャー企業が……、劣化の少ない3、4両を修繕して……」はこのあたりの車両を候補にしていました。

客車全てではなく、そのうち「劣化の少ない」数両を選ぶつもりだったという。今更明らかにしても仕方ないのに、なぜ今まで明らかにしなかったのだろうか。そして、「外観が比較的綺麗」かどうかで車両の劣化具合を判断していたという無知ぶりにはあきれ果てる。「知見経験を有する」人間に「ご教示を賜」っていたのではなかったのか。外観だけで車両の状態を判断できないことなど「知見経験を有する」人間なら常識のはずである。「貴重な鉄道車両の取得、保全、活用」を事業の一つとしている企業の代表者がこの程度の認識しか持ち合わせていないとは情けない。

朝日新聞に再び取り上げられる

11月28日付朝日新聞にて、秋田港駅の24系客車が再び取り上げられた。

www.asahi.com

この記事は、青山トラン・ブルーが繰り広げた"復活劇"の裏で何が起こっていたのかを暴いて余りあるといえる。かの24系客車は、引退後東京の貿易会社がアフリカに輸出しようとしたが結局立ち消えとなり、その後秋田港駅構内にて留置されることとなった。しかし貿易会社が臨鉄に費用を支払わないなどトラブルとなり、裁判の末2022年5月に臨鉄の勝訴が確定したという。関係のない第三者が泥沼化していた客車を当て込むのはあまりにも無謀と言わざるを得ないが、青山トラン・ブルーは手を出してしまった。

その後強制執行を経て、10月の競売にて臨鉄が客車を落札した。競り落とせなかった青山トラン・ブルーは最後の希望(悪あがき)として臨鉄に交渉を持ち掛けたようだが、結局臨鉄から客車を譲り受けることはできなかったようである。記事の最後、臨鉄・佐渡社長のコメントは手厳しい。

佐渡社長は(略)痛んだ車両を再び線路上で走らせる提案には特に猛反対する。「人を乗せて走らせたら安全が保証できない」

読売新聞にも取り上げられる

2023年1月14日付読売新聞でも秋田港駅の24系客車が取り上げられた。

www.yomiuri.co.jp

記事によると、客車はアフリカ(コンゴ民主共和国)へ輸出するために貿易会社が手に入れたがとん挫したという。その後の臨鉄と貿易会社との裁判沙汰については、朝日新聞が11月に取り上げた内容と大差ない。

"人材コンサルタント会社"である青山トラン・ブルー(なぜかこの記事ではそうなっている)の代表者は、このブルートレインの存在を知人から聞きつけ、「取得後、線路を走れるように修繕する計画も立てた」という。「修繕する計画」の内容がどのようなものなのか興味があるところであるが、どうやら公にするには極めて都合が悪いようである。結局、青山トラン・ブルーは「必要な書類を競売までに用意でき」ず、断念したという。

さらば秋田港駅ブルトレたち

11月から、秋田港駅の車両の解体が始まった。24系客車たちのみならず、同駅にあったディーゼル機関車なども順次解体された。2023年2月初め時点で客車の解体は終了、中頃にはDE10 1543号機以外全ての車両の解体が完了した。この1543号機は臨鉄所有の機関車で、解体される車両の移動にも使用されていたようである。同機は解体場所を囲うシートが撤去された後もしばらくの間留置されていたが、3月に解体された。こうして、秋田港駅の車両はすべて解体された。

5月22日の株主総会において、秋田臨海鉄道は会社解散を決議し同日解散。1970年からの半世紀あまりの歴史に終止符を打った。すでに鉄道設備や"置き土産"の撤去は完了しており、名実ともに秋田臨海鉄道は消滅したのである。秋田港駅を含めた秋田臨海鉄道の土地は秋田県へ返還される。秋田港駅ブルートレインが並んでいたこと、そしてそのブルートレインに夢を抱き、熱を上げていた者たちがいたことも、次第に忘れ去られるのだろうか。

私見

最後に、このブルートレイン復活プロジェクトを自分なりに振り返ってみたい。終始批判的立場にあった人間が書いたものであることは念のため申し添えておきたい。

秋田港駅の24系客車を用いてブルートレイン復活は可能だったか―残念ながら不可能に極めて近かったと言わざるを得ない。実現するには資金調達や折衝などの数多くの障壁を乗り越えなければならない。そして、この客車は曰く付きであった。もし復活を実現させるだけの緻密な計画や、資金調達をはじめとした各方面との交渉を成功させる用意があれば話は別であるが、プロジェクトを通じてこの企業からそのような計画などが提示されることはなかった。それどころか、「守秘義務等」を理由に提示を拒む姿勢すら見せていたのである。その上、長年メンテナンスがなされないまま海辺に放置されていたかの客車の状態にも懸念があった。劣化具合によっては、走行には耐えられないことも考えられるだろう。そのようなリスクを抱えているのにもかかわらず、青山トラン・ブルーは客車の状態を精査していない。あろうことか、代表者はただ外観だけを見て車両の状態を判断し、それをもとに手に入れる車両を選ぶつもりだったとすら言っているのである。客車の状態もさることながら、青山トラン・ブルーの認識不足も指摘しておかねばならない。

2022年5月に初ツイートをしてからと言うもの、青山トラン・ブルーはツイッターへ向け自らの目論見を積極的に宣伝、鉄道趣味者を中心に応援者は瞬く間に増えていった。一方、先述の通りプロジェクトの詳細はクローズドにされた。奇妙なブルートレイン復活プロジェクトを疑問視する声はあったものの、応援者たちはそれを何ら不審に思わなかったようである。そうした応援者のために、客車の写真やインタビュー、イベントレポート、所蔵品自慢などといったコンテンツが用意され盛り上がりを見せていた。しかし、後の新聞報道で明らかになった通り、当時客車は某貿易会社と臨鉄との間で係争中であった。客車を取得できるめどが立たず、プロジェクトは早くも深刻な問題に直面していたのである。実際、青山トラン・ブルーはそれを匂わせるツイートをしている。

24系を鉄屑にさせない!
(略)
ブルートレイン愛、そのために弊社は火中の栗を拾います。

ゴチャゴチャした物件とは聞いておりますが、これだけまとまった24系を前にするとどうにも血が騒いでしまいます。

しかし、青山トラン・ブルーからそれに関して説明があったのは、7月に客車へ公告がなされた後であった。自らの悲願を達成するため、そして「機運を高める」ため、なんとしても臭いものには蓋をしておかねばならなかったのだろう。当時私の質問に対してスルーを決め込んだのも、そういう事情があったためではないか。

だが、「すべての人間を一時的に、あるいは一部の人間を常にだましておくことはできるが、すべての人間を常にだましておくことはできない」*1。隠し通そうとした不都合な事実があっさりと明るみになる例は、昨今の様々な企業不正でも見られる。そして、そのような行いの代償は高くつく。

結局、くだんの貿易会社が公告に従うことはなく、強制執行を経て客車は裁判所の手に委ねられることとなった。客車の取得はいよいよ困難となっていた。青山トラン・ブルーは、自らに客車を引き取る能力があることを示さねばならなかったが、勢い立ち上がったベンチャー企業に資金もノウハウもあるわけがない。強制執行後、青山トラン・ブルーは勢いを失った。復活プロジェクトが始まった当初に見せていた「胸に刺さります」「あらためて闘志を確かにしました」というような強がりもなくなった。強制執行からちょうど1か月後10月初めに一応状況説明がされたが、具体的な内容のほとんどない、形だけのものであった。

そして10月初めの報告から1か月後の11月1日、敗北宣言をもってこの復活プロジェクトは"ウヤ"となった。この1か月の間、青山トラン・ブルーから復活プロジェクトに関するツイートは皆無であったが、事態は見えないところで大きく動いていた。10月初旬に行われた競売で、客車は青山トラン・ブルーではなく臨鉄が競り落とした。その後青山トラン・ブルーは臨鉄に交渉を持ちかけたが、物別れに終わった。どのようなやり取りがなされたかは不明だが、臨鉄トップからの手厳しいコメントから想像はつく。いずれにせよ、これで青山トラン・ブルーが秋田港駅の客車を手に入れる望みは絶たれたわけだが、競売と交渉に関する経緯が青山トラン・ブルーの口から語られることはなかった。都合の良いものだけに触れ都合の悪いものには触れないという、この復活プロジェクトの姿勢を如実に示しているといえよう。

青山トラン・ブルーが終始こうした態度でいられたのは、大勢の応援者たちの存在があったからに他ならない。発せられる"大本営発表"に何ら疑問を抱かず、ネガティブなニュースすらポジティブに反応するような応援者たちは、「機運を高め」るために絶好の存在であった。敗北宣言にて青山トラン・ブルーから応援者たちに向けたツイートに、その考え方が色濃く表れている。

弊社事業について多くの温かいコメントをいただいております。
このような結果になりましたのに、本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいでございます。

ここでいう「感謝の気持ち」とは、どんな扱いしようとも腹を立てず、自分たちにとって都合の良い反応だけを示してくれたことに対する感謝といっても差し支えない。そして、応援者たちからの「『要件以外のところ』で調整を図ることができ」なかった理由を問う声は拒絶した。青山トラン・ブルーにとって応援者たちは、いわばSNSでいうところの"フォロワー数稼ぎのためだけのフォロワー"にすぎないのだろう。これにもかかわらず、応援者たちからは怨嗟の声もなかった。行動を起こしたことは立派、と応援者たちの多くから評価する声が聞かれた。だが、この企業の行動をウォッチしていた身としては、評価に値するだけの行動を起こしてはいないと言わざるを得ない。客車の取得が行き詰まる中、東奔西走している様子を見せて自分たちの必死ぶりをアピールしたかったようにしか見えなかった。"飴"を並べては取り繕うことしかしないベンチャー企業と、その"飴"を食べることだけしか頭になかった鉄ちゃんたち。両者の間には予定調和が作り出されていた。両者とも、ブルートレイン保存を口にしながらもそれとは別の方角を向いていた。

私が一番残念に思っているのは、青山トラン・ブルーから真摯さが感じられなかったことである。プロジェクトの詳細はクローズドにされ、どんな重要な情報も後出しにされるか曖昧にされる。あまつさえ、7月の公告直後に代表者らが秋田へ赴いた際の理由については「お察しいただけるかと思います」と放言している。いずれも、真摯さに欠いた振る舞いと言わざるを得ない。対照的に、客車の写真やイベントレポートなどの"おまけ"には熱心であった。こんな姿勢の企業に、ブルトレ復活運行も地域活性化も務まるだろうか。言うまでもないが、たった一人の力で鉄道車両保存を実現することはできない。誰かの力を借りなければならない。そして、人の力を借りるには真摯さは必要不可欠である。真摯さのない者は、たった一人の力を借りることすらままならない。

代表者は客車を手中に収められなかったことを残念がっていたようで、「ただ無念の一言」*2だという。この失敗を糧にするという気概もないようだ。もっとも、ただ実物の車両を手に入れることしか考えてこなかったのだから、それが実現できなかった以上「無念」という感情以外湧いてこないのだろう。もし事業化、あるいは地域活性化に取り組むことが目的だったら、この「無念の一言」で片付ける反応も、そしてこの半年にわたる振る舞いも説明がつかない。

復活プロジェクトの最重要課題―秋田港駅の24系客車を用いてブルートレインを復活させるにはどうしたらよいか―を、青山トラン・ブルーも応援者たちも真正面から取り組もうとしていなかった。彼らにとって、ブルートレインは遺産ではなく消費財に過ぎなかった。そのような者たちによる"保存活動"が何ら成果を得られずに終わったのは当然といえよう。

おわりに

24系客車含め秋田港駅に留置されていた車両は解体された。あれだけにぎわせたこのブルートレイン復活プロジェクトも、話題に上ることは少なくなった。幸いにも、この復活プロジェクトを通じ金銭のトラブルはなく、そのために遺恨を残すこともなかった。ただ、それは実際にお金が動く段階に入る前にプロジェクトが頓挫しただけに過ぎない。「費用も膨大であることは認識しております」などとは口にしているものの、この企業から資金計画や財務報告などお金に関する話が出たことはついぞない。本当に認識しているなら、お金の話をしないのは考えられない。

たとえどんなに世間を騒がせるような出来事だとしても、時間が経てば忘れ去られる。オイルショックの頃に生じたトイレットペーパー買占めが昨今の新型感染症まん延下でも繰り返されたように、知らない世代が現れるとまた同様な出来事が起こる。歴史というものはそういうものだ。過去を繰り返さないことは難しいようである。それでも、繰り返さないようにする努力はしなければならない。

クラウドファンディングなどもあり、誰もが簡単に鉄道車両の保存活動を立ち上げることができるようになった。しかし、保存車両の維持が簡単になったわけではない。クラウドファンディングにおいても、実行者の遂行能力ゆえに計画通り実行されずトラブルとなるケースは少なくない。今後、過去のトラブルから学ぶことはますます重要となっていくだろう。前記事とともに、この記事が少しでもその役に立てば幸いである。

*1:エイブラハム・リンカーン

*2:代表者FBの2022年11月17日エントリより